この国の思想・この国の立ち位置 ― 2009/03/21 10:49
政治やら社会についていろいろ考えていても、いまひとつピンと来るものがない。先日、北欧の高福祉社会の番組を見ていて、日本と何が違うのだろうと考えていてふと気がついたことがある。 それは、
この国の思想
いろいろ考えてみると、やはり国の思想がはっきりしていない、国の思想を国民が作ったという意識がない、という気がしてならないのです。そこが欠けているから、結局のところ手段や方法ばかりを議論してしまっている。場合によっては、やりすぎていたり、間違った方向に歩きだしてしまう。構造改革という例をとってみて考えてみても、そもそもこれが叫ばれた背景には、外圧があったと思うのです。閉鎖的な社会をもっと開放しなければならない。その時、世界ではデファクトスタンダードというものがあって、それに乗り遅れないようにしなければならない。日本はこのままでは取り残されてしまうと、脅かされたのです。日本は、外圧によって動くのです。外圧によってしか変わらないとも言われます。それは、国民にも、為政者にも思想が欠けているからだと思うのです。そういう国は、一歩間違うととんでもないことをしてしまう。過去がそれを証明している。
思想がなく、ただ勤勉であったのが日本のなのかもしれない。そういう国民性であったともいえる。思想という言葉が難しく感じてしまうのかもしれない。『思い』でもよい。あるいは、もっと身近な表現をすれば、この国の立ち位置とでも言った方が良いのかもしれない。そういうことを少し考えてみたいのです。
この国の思想
いろいろ考えてみると、やはり国の思想がはっきりしていない、国の思想を国民が作ったという意識がない、という気がしてならないのです。そこが欠けているから、結局のところ手段や方法ばかりを議論してしまっている。場合によっては、やりすぎていたり、間違った方向に歩きだしてしまう。構造改革という例をとってみて考えてみても、そもそもこれが叫ばれた背景には、外圧があったと思うのです。閉鎖的な社会をもっと開放しなければならない。その時、世界ではデファクトスタンダードというものがあって、それに乗り遅れないようにしなければならない。日本はこのままでは取り残されてしまうと、脅かされたのです。日本は、外圧によって動くのです。外圧によってしか変わらないとも言われます。それは、国民にも、為政者にも思想が欠けているからだと思うのです。そういう国は、一歩間違うととんでもないことをしてしまう。過去がそれを証明している。
思想がなく、ただ勤勉であったのが日本のなのかもしれない。そういう国民性であったともいえる。思想という言葉が難しく感じてしまうのかもしれない。『思い』でもよい。あるいは、もっと身近な表現をすれば、この国の立ち位置とでも言った方が良いのかもしれない。そういうことを少し考えてみたいのです。
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