野田総理の『小沢氏は党決定に従え』は是か非か2012/05/01 21:07

 野田総理が、小沢氏に党の決定に従うべきとの見解を出した。そもそも、比例代表ではない議員は、特定の党への投票ではない。その議員に対する信任であるから、党議拘束に従わねばならないというのは間違っている。党の公認という手続きによって拘束されるというのであれば、そもそも選挙区という扱いが相応しくない。しかも有権者と立候補者の間には立候補者と党の間の制約条件は介在しない。従って、基本的に議員に対する党議拘束は民主政治と相反するものである。党方針には反対だが、特定の人物に投票する人だっているのだ。
 党議拘束は違憲ですらあると考える。憲法51条に反すると考えるが、文言上反しないという意見もある。しかし、憲法の精神からすれば、違憲であると考える。 

 


バス事故2012/04/30 09:00

             痛ましい事故が続いている。いろいろ言われているが、人間は過ちを繰り返すという前提に立ったもので無い限りまだまだ繰り返すだろう。

             いつも不思議でならないのは、せめて高速道路位は、自動運転システムを取り入れるべきだと考える。それを国が主導して、メーカに自動運転システムの搭載を義務付けることを進めなければいけないのではないか。

             車は、100年以上の歴史がありながら、本質的には何も変わっていない。全て運転者任せである。しかし、老人が運転すれば、脳卒中を起こすことだってある。先日の京都の事故のように、てんかんで気を失ってしまうひとだってある。居眠りするのはいくらでも居そうである。不注意で反対車線に突っ込んでしまうことだってあり得る。故障でハンドルが利かなくなることだって起こり得ないことではない。いままで事故に遭わずに走ってきたのは偶然にすぎない。     

               そういう発想で、車は設計されてない。道路の中に無線のワイヤーを埋め込むとかいろいろな方法が考えられるが、高速道路限定でも良いので、自動運転ができるようにすべきであると思う。完璧な自動運転を目指す必要はない。運転者に問題が発生した時に安全に停止させるだけでよいのだ。ウィンカーも出てないのに、道から外れをそうになった時に警報を出して急停止させるだけでも大事故は防げるのだ。道路と車のインターフェースさえ決めてしまえばよいのだ。そしてそれを国際的にも推進するように働きかければ良い。

民主の給油停止とアフガンの復興支援2009/08/04 11:08

 民主党のマニフェストのインド洋上給油停止は、やめた後どうするかを提示しないのでは解決にならない。少なくともインド洋での給油を停止するのであれば、どうやってテロを撲滅するのかというその道筋を明確にすべきである。単に、いままで反対していたから、政権を取ったら給油は停止であるというのでは、説明になってない。私は何も給油を継続すべきであると言っているのではない。タダのガソリンスタンドなど即刻辞めるべきだと思っている。

 ではどうすればよいのか。それはイスラム世界の貧困と格差をなくす以外に方法がない。すべては貧困と格差である。努力が報われる世界であれば、テロは発生しない。意識の高いものが、差別を受けたりすることがテロの温床である。怠惰なものが、食えない世界は格差でもなく、不平等でもない。痩せた田畑しか持てない国は、食うための作物は作れるかもしれないが、テレビは買えない。そこに居たければそれはそれで致し方のないことである。しかし、いたくなければ、出て行く自由はあってもよい。自分の住む地域を選択する自由は保障されるべきである。しかし、それでは解決にならない。乾燥した痩せた大地であっても、彼らの大地であり、彼らの国家なのである。その誇りは尊重しなければならない。

 私は、農業支援が一番重要であると思っている。タリバンがはびこるのも、そうした恵まれない地域をベースにしているからである。そして、そういう地域でケシの栽培をさせ、そこから得られる利益をタリバンの活動資金にしているのである。灌漑のために資金を投入し、乾燥して痩せた大地を緑豊かな農地に変えていくことができれば、農民はそれを守ろうとする。決してケシ栽培などに手を染めたくはないのだ。

 私は、サンクチュアリを作っていくことを提案する。農業を主体としたサンクチュアリをアフガンにつくっていくのだ。このサンクチュアリは、テロから農民を守るという目的もあるが、テロリストを根絶する戦いの場でもある。

 私は、すでにこの世界は国家間の戦争の時代ではなくなっていると思っている。散発的にはまだあるだろうが、これからの世界はテロとの戦いであると思っている。もっと言えば貧困と格差との戦いである。国の軍隊というものは、国家間の戦いを前提にしたものではなく、テロ戦争を前提とした体制に変更していかねばならない。そういう意味では、アフガン支援は、軍隊体質の再構築のための絶好の機会である。

 サンクチュアリを守り、拡大していくために、過渡期として軍隊が駐留するのは致し方ない。繰り返すが、従来の軍隊ではない。テロ撲滅とサンクチュアリの死守に最適化したプロ集団としての軍隊である。その為に自衛隊を派遣する。

 ペシャワール会の中村医師は、長年献身的に農業支援の戦いを行ってきた。しかし、大国のアフガン政策の過ちとテロリストの勢力拡大で、撤退せざるを得なくなってしまった。これは一種の見殺しである。こういう状態に何の手助けもできなくて、無料のガソリンスタンドを浮かべておくことは全く国家としての主張もなければ哲学もない。

 この戦いは、恐らく10年20年の歳月をかけた戦いになるであろう。しかし、そういう覚悟を持ってこの国家を導いていくのか政治家の役目である。

この国の思想・この国の立ち位置2009/03/21 10:49

 政治やら社会についていろいろ考えていても、いまひとつピンと来るものがない。先日、北欧の高福祉社会の番組を見ていて、日本と何が違うのだろうと考えていてふと気がついたことがある。 それは、

この国の思想

 いろいろ考えてみると、やはり国の思想がはっきりしていない、国の思想を国民が作ったという意識がない、という気がしてならないのです。そこが欠けているから、結局のところ手段や方法ばかりを議論してしまっている。場合によっては、やりすぎていたり、間違った方向に歩きだしてしまう。構造改革という例をとってみて考えてみても、そもそもこれが叫ばれた背景には、外圧があったと思うのです。閉鎖的な社会をもっと開放しなければならない。その時、世界ではデファクトスタンダードというものがあって、それに乗り遅れないようにしなければならない。日本はこのままでは取り残されてしまうと、脅かされたのです。日本は、外圧によって動くのです。外圧によってしか変わらないとも言われます。それは、国民にも、為政者にも思想が欠けているからだと思うのです。そういう国は、一歩間違うととんでもないことをしてしまう。過去がそれを証明している。

 思想がなく、ただ勤勉であったのが日本のなのかもしれない。そういう国民性であったともいえる。思想という言葉が難しく感じてしまうのかもしれない。『思い』でもよい。あるいは、もっと身近な表現をすれば、この国の立ち位置とでも言った方が良いのかもしれない。そういうことを少し考えてみたいのです。

保護貿易は是か非か2009/02/14 10:49

 金融危機の中で、アメリカがバイアメリカン運動を叫ぶ人が出てきた中で、保護貿易に反対する意見が出てきている。
 保護貿易はなぜ悪なのか? 自由で公平な貿易で発展を促したいという表向きの理由はさておき、たとえば日本が反対するのは、輸出が制限されるからである。しかし、日本は、米に関しては高い関税を課している。農業を守るためである。保護貿易反対を叫ぶのであれば、輸入関税を撤廃するのが道理ではないか。

 アメリカも自動車の輸入では2.5%の関税を課している。日本は車の輸入関税は0である。これは、一種の保護貿易である。どのこ国も、自国の権益をまもろうとする。自由貿易を推進しようとする国は、全体的に自由貿易の方が、自国にとってメリットがあると考えているからだ。

 要は、基本的にエゴのぶつかり合いでしかない。保護貿易をどこかが行うと、他の国も追従し、全体的に効率が下がるというナッシュの均衡がある。

 だが、効率が下がろうが、高いものを買わされようが、自国にとってメリットがあれば、それでよいのだ。世の中は結局保護的にならざるを得ないのだ。

 たとえ話をしてみる。輸入しかしない国は、お金がどんどん外へ出ていく。借金をするしかなくなる。そのうちに、ものが買えなくなる。だから、替わりに何かをこしらえて外に売らねばならない。そうしてバランスする。輸出しかしない国は、金がどんどんたまる。金がどんどんたまっても、使い道がない。その国の通貨ではないお金があっても、輸入をしないんであれば、そのお金は何の値打もない。紙屑同然である。仕方がないから、自国にないものを買ってくる。
 最終的にどこに落ち着くかというと、貿易収支がバランスしたところで均衡する。さもなくば、たまったお金は、国際的なバブル崩壊で、泡となって消える。

 今回のサブプライムでアメリカ以外の国が被った被害は、貯めたお金の価値がなくなったということだ。つまり、不均衡は貿易によって、均衡するか、バブルによって借金帳消し的に消えるかのどちらかである。借金帳消しになれば、借りたもんが得をしたことになる。その変わり信用は失墜する。それが今のアメリカだ。
 そうすると、結局バランスをとって運営することができれば一番好ましいという結論になる。でも、そうかと言って、要らないものを買うのもばかげている。結局、何らかの操作によってバランスさせざるをえなくなる。それは、関税でなくても、為替によっても可能になる。国民にとっては、関税で高いものを買わされようが、為替レートで高いものを買わされようが、同じことである。

 保護貿易を行ったために世界恐慌が発生し、世界大戦になったという人もいる。不景気になったから、景気刺激で戦争をおっぱじめたということだ。戦争は、景気刺激には一番手っ取り早い。しかし、一時的であり、最後は体力が消耗する。アメリカはイランやアフガンで体力を消耗した。そして、アメリカの権威は失墜した。戦争になるかならないかは、戦争によって利益を享受する人間を放置するかしないかということである(利益の偏在)。だから、保護貿易が戦争につながるというのは論理の飛躍である。全体の貿易量が少なくなるということにはなる。しかし、必要な貿易は行われる。それは、ある意味はでエコな社会である。必要以上のものを手に入れようとするから、環境も破壊されるのだ。

 人は、儲けようとする。国も儲けようとする。儲けるというのは、人から利益を搾取するということに置き換えられる。そして自分だけが良い生活をしようということになる(利益の偏在)。全体的によい生活をすることは可能なのだが、それでは満足しない人や国あるから問題は起きるのだ。政治の本質は、そういうことが起きないように全体がこのましい生活をできるようにすることなのだ。そういうことに気がついてないか、忘れている人が政治を行っている。
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